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木曽路11宿めぐり(後編)

  • 2006.05.19

  • おでかけ



ぶらぶら散歩道 ***木曽路11宿めぐり(後編)***


お昼休憩もかねて、浦島伝説が残る名勝「寝覚ノ床」に立ち寄りました。
浦島太郎が竜宮城から帰ってから玉手箱を開けたのがこの場所だそうです。
この日は、天気もよく少し汗ばむ陽気だったので、
川から吹く心地よい風が気持ちよかったです。

寝覚ノ床までは、大きな岩がごろごろしているところを、
アスレチック感覚で進んでいきます。
浦島太郎が玉手箱を開けたところまで行きたいという人は、
スニーカーなどで行ったほうがいいかも。

帰りは上り坂だったので、息も絶え絶えに、休憩所まで昇り、
近くにあったお蕎麦屋さんへ。
何とはなしに入ってみたら、有名なお蕎麦屋さんだったようで、結構な人だかり。
資料によると全国で3番目に古いとされる蕎麦処でした。
混み過ぎて、食べたいものが食べられなかったのは、残念でしたが、
結構おいしかったです。

■寝覚ノ床
nezame

TEL:(0264)52-2001(上松町産業観光課)

URL:http://www.avis.ne.jp/~hinoki/index.html

■越前屋
etizen

〒 399-5607 長野県木曽郡上松町小川見帰2379

TEL/FAX:(0264)52-2081

写真:盛りそば 1100円(2枚)
    山菜のてんぷら




▲発見!!「水舟」
▲唯一発見した野尻宿の看板
▲三留野宿跡。
7宿目:須原宿
古い町並みをずっとたどっていくと「水舟」を発見。
先を急ぐため、ここでも写真だけで次の宿へ。

8宿目:野尻宿
ここも分かりにくく、探すのに苦労しました。
ガイドブックにも「七曲り」の跡があるだけのようで、
くねくねと曲がっている道のりを、
あっちにいったり、こっちにいったり。。。
近所のおばさんたちに聞いても、「そんなものあったっけねぇ...」と言われる始末。

しばらく進むと、やっと看板のようなものを発見。
場所によって、こんなに扱いが違うんだなぁと思いながら、次の宿へ。

9宿目:三留野宿
中世には交通の要所として妻籠と並んで栄えた宿場だったらしいのですが、
明治15年の大火で消失してからは、わずかな面影が残るのみ。
ということで、あまり期待はしてなかったのですが、
ここでも、史跡探しに苦労しました。

何しろ道は以前の侵入者防止用にくねくねしており、
あちこちには車も通れないような細い道が...
あっちへ行ったりこっちへいったりしながら、
ようやく街の案内地図を見つけ、なんとか三留野宿の本陣跡を発見。
なんだか、宝探しみたいになってきました。





GWということもあり、ものすごい人で駐車場に入るのも一苦労。妻籠宿の中に入ると、そこは別世界。
江戸時代にタイムスリップしたような気分になりました。

ここでは、五平餅の食べ比べをしてみようと、入り口近くにあった「えのき坂」へ。
さっそく五平餅と月見そばを注文。五平餅はゴマの香りが香ばしくてとってもおいしかったです。
次に向かったのは、「湯屋」へ。
ここでは醤油とくるみのたれがついており、えのき坂よりも甘みが強くて、 私的にはこっちのほうが癖がなくて食べやすかったです。 もう一軒行ってみようかと思いましたが、見た目よりもボリュームがあって、これ以上食べれませんでした(;_;)

しばらく歩くと、敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げて設けられた「枡形」を発見。
宿場が幕府により防衛施設としても作られたことを伝える史跡にちょっと感心。

駐車場に戻るときに、えのき坂でお土産用の栗きんとんを買って、次の宿へ。

▲えのき坂の五平餅
▲枡形跡



とうとう木曽路11宿最後の「馬籠宿」に到着。
ついたのが5時近くということもあり、やっているお店は少なくぐるっと回って終わりでしたが、夕焼けの明かりに照らされて、なんともノスタルジックな雰囲気に。
途中には、妻籠宿のような枡形跡や、藤村記念館、馬籠脇本陣資料館などが当時の雰囲気を残しながらたたずんでいました。

▲馬籠脇本陣資料館の看板
▲夕日の中の馬籠宿の中で


これで、今回の旅は終わりました。次回、機会があったら馬籠宿からたどってみようと思います。